自分を取り戻す方法

目次

あなたはいつも何を考えていますか?

こんにちは!juuです。

突然ですが、あなたは今何を考えていますか?

何も考えていません!ぼーっとしています。なんて答える人もいれば、政治について真剣に考えていますという人もいれば、これから何を食べようか考えている人もいると思います。

では、その思考をしているのは誰ですか?

自分ですか?守護霊ですか?それとももっと他のものですか?

何を言っているんだ!もちろん自分だ!と大半の方が答えるのではないでしょうか?ですか、本当ですか?

「赤」

今「赤」と読んだそのあとすぐに、リンゴが思い浮かびませんでしたか?赤色を直接イメージした方もいるのではないですか?

なぜでしょう?「赤」という文字を見ただけで、一瞬で赤に関連する複数のものが連想されたのは、あなたが脳に命令したからですか?

きっと違うと思います。もう、

「脳が勝手に考えた」

ことは明らかだと思います。つまり、自動思考ですね。わたしたちはほぼ自動思考で生きています。朝起きて「マジだるい」と思うのも自然とベットから出てトイレに向かうのもトイレの中でスマホを見るのも

自分は考えていないんです。だけど、起きた瞬間から、滞りなくスムーズに動き、準備をして家を出ることができるのも自動思考のおかげです。

だって、朝起きて、「これから何をするべきか考えよう!きっと寝ている間に膀胱に尿がたまっているはずだから、これから起き上がって、足を踏み出し、ベットから降り、そこから歩いてドアを右手で開けて・・・・」

なんて考えないでしょう。そんなことを自力で考えて行動しようと思ったら、会社や学校に間に合いません。

わたしたちは肉体に乗っかって、勝手に心臓が動いて、勝手に呼吸をして、勝手に脳が考えて生きています。

では、自分だと思っているものは何なのでしょう。

自分を自分だと思うこと

自分を自分たらしめているもの。

こいつの正体について考えたことがある人は少ないかもしれません。

そんなこと考えなくても、この肉体が自分でこの思考が自分のものだと信じて疑わないからです。

ですが、先ほども書きましたが、肉体は勝手に動いています。

何も考えなくても全自動でやってくれます。

それならば、きれいな夕日に感動したり、上司の言動に腹を立てたり、歩くのが遅い人を近くで追い抜いてわざと前に出たり、ダイエットをかんばってる「わたし」は何者だ?

ということですが、それが「自我」というものです。魂とも別物です。

「感じるもの」

という表現が合っているか分かりませんが、ロボット(肉体)のパイロットである自我があるということです。

その自我が感じることで、脳は連想ゲームのように自動思考をして、最適な状態を保っています。

この自我も考えていません。目の前にうつるスクリーンのようなものを見て、良し悪しをジャッジする存在です。

朝起きて、雨の気配を感じた肉体が、雨だなと電気信号を送ります。その信号を受け取った自我が、「それは面倒くさい」とジャッジを下すと脳がさらに連想ゲームをするかのように、めんどくさい時の対処法を導き出します。仕事をさぼるという電気信号を受け取った自我が「それはさすがにやばい」とジャッジを下すと、肉体は勝手に起きて動き出します。そして、スマホの天気予報の画面を勝手に開きます。まもなく雨が止む予報を目で見て、脳が勝手にもうすぐやむから許してやろうと考え、自我はこのまま準備をするという指令を下せばあとは何か事件が起こらない限り、自我の出る幕はありません。

つまり、脳がどちらか判断をくだす時に自我が出てきて、良し悪しを投げかけて、連想ゲームのように思考し…ということを繰り返しているのです。

判断を下しているのですから、自我が自分ともいえると思います。ですが、その判断基準もかなりあいまいで、子供の頃から言われてきたこと、世間のルール、社会規範など、「自分」とは関係のない肉体を円滑に運営するだけの判断しかしておらず、それが本当の自分と言えるのか?というととても不安になりますよね。

それでは一体どこに自分はいるのでしょう。

それは、自動思考を手放した時に現れると言えるでしょう。

自分と思い込むとどうなるか

わたしたちは自動的に生きています。心臓も呼吸も脳でさえ、勝手に動き、思考はジャッジしかしていないということを説明させてもらいました。

それでは、自分と思って、自分で考えて生きているという感覚はどうしてくれるんだと思われるでしょう。

そうなんです。人は肉体と自我を自分と思い、時に自分勝手に、自分さえよければよいと考え生きています。

犬の散歩をしていると、ポツンともしくは大量に自転車が乗り捨てられていることがあります。鍵がかけられていない自転車はきっと、盗まれたものでしょう。不幸なことに鍵をかけ忘れると、そうやって便利に使われ、乗り捨てられるのです。誰かの大切な自転車。

自分さえよければ、誰かが不幸になってもいい。

公園のゴミ箱が最近は撤去されています。家庭ごみを捨てたり、そのゴミ箱を蹴って壊してしまう人がいるから。

そのゴミ箱を掃除する人がいます。そのゴミを処理してくれる人がいます。そのゴミ箱を持ってきてそこに設置した人がいます。町にゴミが溢れないように誰かの奉仕の気持ちがこもったものです。

自分さえよければいい。誰かの苦労や仕事は見ない。

自分さえよければいい。

ボランティアや人助けはやりたい人がやればいい。自分には余裕がない。自分は不幸。自分は疲れているから許される。自分は自分は・・・・・・・・・・。

本当は自分ではないものを自分だと信じた結果、今の醜い現実が生まれます。

そういう人ほど、自分というものに固執しています。

自分は大変なんですと主張し、自分の都合ばかりを議題に出し、自分と周りを比べて自分を図り、自分が良くなると信じてジャッジし続ける。自分のためにしか生きない。

それはそれでいいと思います。

だけど、なぜでしょう。

とても悲しくなるのです。人の道に反すると言いますか、ここまで人に考える力がなくなっているのかと。

わたしとは関係ないと思った人もいると思います。でも、そんな人いないとも言えないはずです。

人とは、思った以上に自分中心の考えをするものです。

自分のために生きるという罠

周りの目ばかり気にしないで、自分のために生きよう。昨今、叫ばれていることですが、そもそも、その自分というものがわたしたちにはないのです。

便利になりすぎて、自動思考で生きられる時代のせいかもしれません。

では、どうすれば自分が分かるのでしょうか。

そのためにはまずはジャッジをしないということが大切になります。とはいえ、ジャッジすることは生きる上で大切なことなので、完全にやめてしまってはいけませんが、まずは自分が瞬時に下しているジャッジを疑うことが必要になります。

先日、6歳の娘があるキャラクターを指して、わたしはこちらが好きだと言いました。

それは、二人組のキャラクターで背の高いものと太ったものでした。

娘がこちらと指さしたのは、背が高い方でした。たった6歳ですが、ジャッジを下していることが分かりますね。

わたしはそのとき、この二人組は二人ともいいんだよ。どんな容姿でもいいんだよ。と伝えました。

娘はハッとして、二人ともいいね。どちらもかわいいね。と言い直しました。常々、子供たちにはどちらが良くてどちらが悪いか決めたくなるけど、どちらもいいも悪いも含まれていることを色々なアプローチで伝えています。今回はまさに、一般的なジャッジを娘が獲得し、下した結果と言えると思います。

本当に、ただ生きているだけで、わたしたちは様々な判断基準を獲得してしまいます。昨今の食料の問題の報道、芸能人の問題への報道、SNSを見ていても、わたしたちを誘導するようなやり方は多く見受けられます。

では、常に良心的で公平な判断をするべきなのかと言われるとそれも違います。

陰陽の法則がありますので、常に陽であることは出来ませんし、良いばかり選択することもできません。

例えば、ずっと晴れが続く天気はどうでしょう。1年中晴れていれば、水不足になります。農作物は育たず、大地は枯れ、山の木々は枯れ、山火事が起き、わたしたちは安心して暮らすことさえできなくなるでしょう。そこに雨が降ったらどうでしょう。晴れは陽ですが、陽極まれば陰に転じます。そこへ元来陰である雨が来れば、またバランスが取れて調和するということです。

これが日々のジャッジにも言えることです。自分の陽と思われることばかり選択しようとすると、どこかで自分にも陰がやってきます。さらに人にも陰を投げかけてしまうことにもなります。そうすると、次は人に陽を与えなければ理屈に合いません。つまり、人に奪われるような出来事が起きてしまうのです。

この循環は良いとは言えません。

ではどうすればいいのか。

それでは陰と陽を両方イメージする練習をしてみましょう。

例えば、健康と不健康はどちらがいいですか。と聞かれたときに、もちろん健康な方がいいと答えるでしょう。

ですが、不健康だったらどうだろうと考える時間も持ってほしいのです。

もし不健康なら、うまく仕事ができないかもしれません。何度も通院したり入院したり、明日命のことも考えねばならないかもしれません。だけど、その分健康をありがたいと思う気持ちが生まれますし、体調が悪い方に共感する力も得ました。不健康だとできないけど、健康にらなったやりたいという目標も生まれました。

じつはこれが思考です。自分なのです。

自動思考では自分は必要ありませんでしたが、陰と陽を両方考えようとしたときに、やっと人は思考の脳を使います。そして、自分以外のことにもやっと目を向けることができるのです。

自分を取り戻す

占いをしていても、すっかり世間のジャッジ基準でしか物事を考えられず、自分を失ったまま迷子になっている方は多いのです。

そんな状態で、未来を導こうと思っても、自分の現在地すら分かっていない状態です。

まずは、自分の思考を取り戻すことが大切です。

そのためには、

自動思考であることに気が付くこと。

ジャッジを下していることを知ること。

自分が下しているジャッジの本質を知ること。(社会規範、一般常識、幼少期の刷り込み、自分の思い込みなど)

自分の良いと悪いを両方考える癖をつけること。(雨は嫌だと判断したら、ずっと晴れならどうなるかと考えてみるなど)

思考をすることを諦めないこと。(自動思考の握力は強いのですぐにそちらに引っ張られます。でも負けずに考える力も必要です)

上記のことが大切になります。自分の思考、自分の本来の考え方に触れ、自分が何を一番に大切にしているのか、自分が何を望んでいるのか、ジャッジをなくし、しっかり考えることで、段々と分かってきます。

もちろん、占いや雑談の中で一緒に触れることもありますが、十分に一人でもできることです。脳の使い方のトレーニングをするだけなので意外と簡単ですよ。

そうやって、ちゃんと自分の考えに触れたとき、やっと自分の現在地が分かるようになるのです。

人生がうまくいかない人は、もはや地図などなく、暗闇の中を肉体という乗り物に乗り、振り回されているだけの状態になっていることがあります。自分が見つからないものですから、必死に自分のことを知ろうとして、さらに自動思考の波に深く飲み込まれてしまっています。自分の思考と思っているものすら疑うことから、本当の自分を見つける旅が始まるのです。

本当の自分とは

わたしたちがこの肉体で生きていくと決めた理由は、肉体があれば、感じることができるからです。

魂そのものには、感じる器官がありません。聞くことも触ることも味を感じることもありません。

だからこそ、五感があり、それを処理することができる高機能な脳がある人間を作り出したのかもしれませんよね。

ということは、わたしたちは、そもそも、見ることができ、嗅ぐことができ、味わうことができ、聞くことができ、触れることができ、さらに思考することができること自体がすでに喜びなのです。

肉体は本当に素晴らしい機能です。自動的に生きることができるなんて、魂にとってはとても都合の良いことだったでしょう。

これで、安心して、感じて考えて、色々な体験ができると喜んで肉体を得ました。ですが、肉体は思った以上に、感覚が鋭敏で、脳は処理が早く、世間も目まぐるしく景色を変えるではありませんか。

今まで感じることができなかった初心者の魂は、その処理に追いつけず、自動で生きる肉体にただ乗っているだけになってしまいました。

そう思うとなんだか気の毒ですよね。そろそろ肉体の叫びに気付いてあげねばならないと思うでしょう。

本当は魂もちゃんと目的をもって、こちらの世界にやってきました。肉体をもって体験することを楽しみに、多くの希望を持ってきたことでしょう。

ですが実際のところ、多くの体験をすることは出来ましたが、それをしっかり思考に入れて考えていなので、体験の多くは未処理のままです。

魂はきっと、早く次の体験をするために、あなたに思考してほしいと思っていると思います。なぜなら、体験は一つ終了して、次のステップに進むからです。突然、上級編に行くわけにはいきませんので、やはり、簡単な体験から処理しようと魂は決めてきていますからね。

お判りいただけたでしょうか?

つまり、自分とは魂なのです。

そもそも感じることができない、思念を持った自分。

その存在を早く思い出して、この人生の目的を知りたいと思いませんか?

それとも、全自動の肉体に乗り、目先の陽を追いかけて、都合の悪いことからは目を背け続けますか?

少しでも興味を持った人はぜひ、一度お話しましょう。

一緒に自分の人生を取り戻す旅をサポートいたしますよ。

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